R.H.の手記

また映画を見る。小人が逃げ惑う物語と白人やくざが戦争する映画、潜水艦が放射能にまみれる映画。これらの作品は戦闘をテーマにしているように見えるが、この三つの作品でテーマとなっているのは「永遠」だ。永遠という時間に照らして見ると、大規模な種族間戦争もやくざ同士の小競り合いも児戯に等しい。そこから生まれるのが良いナショナリストであろうとそれが結局は官僚制=人間世界=資本主義社会に飲み込まれて行くものであろうと、そんなのはちっぽけな話にすぎない。弓矢や銃弾や斧や放射能を全身に浴び、人が虫けらのように死んで行く。愛が生まれ、別離と再会が交差するが、それは既に終わった事だ。別離があり、再会があり、愛があった。それを見てる今は何も無い。黒い雨に眼前を覆われながら、私は永遠について考えていた。永遠に思いを馳せる事では人後に落ちない私だが、幼い頃に小説でこれを読んだ時には気づかなかった。ただ茫漠とした寂しさに蔽われたのは覚えている。最近、そうした感覚を「寂寞(せきばく)」と呼ぶのだという事を知った。