アルバイトをさがさなければならない。数年ぶりにフロムAを買ってみた。学生の時分もそうだったが、こういう雑誌を眺めていると、だんだん自分にできる仕事はなにもないんじゃないかと思えてきて、とても気が滅入る。それにしても最近、なんだかいろいろ高校生みたいだ。昨日と今日だけ最終回のみ1000円で見れるというので、渋谷に崔洋一監督の『刑務所の中』を見に行く。映画館の椅子に座ると、隣に座っていた外国人の方が連れの女性に、ツタヤはオウム真理教が運営しているに違いないという話をしている。えぇっと思って聞き耳を立ててみると、理由は「店員の動きがきびきびしているから」というだけで、別 に根拠があるわけではなかった。憶測にしてもいい加減すぎる話題だ。花輪和一による原作はここ最近の作品では文句なしの傑作であり、そういう時ってたいてい映画化されるとなるとうがった見方をしてしまうものだが、これはこれで結構おもしろかった。一週間くらいなら入ってみたい、という宣伝のされ方をしているようだが、ファンタジックにみるよりも、これは、人間にとって幸福とはなにか、という問いかけとしてとらえるべきだろう。でも、やっぱりそう考えると、崔演出はちょっと至福感を全面 に押し出しすぎてるような気がしないでもないなぁ・・・。あと、『豚の報い』のときも思ったんだけど、このひとはひょっとして、音楽のつかいかたがいまいちなんじゃないんだろうか。今回もコンポステラが使われていたりするのだが、選曲が先行してしまうのか、どうもとってつけたようなかんじになる。それから、最近の日本映画って、なんで「個性派」俳優がチョイ役で出てくることになってるんだろうか。竹中直人がワンシーンだけなんてよくあるし、こないだの『AIKI』の佐野史郎とか、この映画の窪塚洋介とか。映画に必然性などない、ともいえるが、こういうのはまたちょっと別 の問題だとおもう。そういえば、こないだ出てた『刑務所の前』もすっごく面白いですね。帰宅後ハンズで買った素材をつかって演奏用の工作。拳銃の改造とはレベルが違うけど、こういう作業をしてる時、幸福感があるような気もする。ハンダごて持ってる瞬間に、人生が闇に包まれているとはあまり考えない。昨年暮れ、boid.netで、黒沢清「恐怖の映画史」の1と2を購入しました。たいへん読みごたえがあり、いい買い物したなーと思っていたので、ツタヤでトビー・フーパーを借りてきていた。とりあえず、黒沢監督が「あ、死の機械ものだ・・・」と衝撃を受けた、という『マングラー』を鑑賞。感動しました。洗濯工場の巨大なプレス機に悪魔が憑依、人間を飲み込むのだ。これだけ書くとバカみたいだが、ほんとにマズい映画。死体が押しつぶされた上に、たたまれます。原作はキングの短編「人間圧搾機」で、これ読んだの中学生だったと思うけど、ちょっと手の込んだ悪魔モノという印象だったのだが、映画はもっと壮大な、地方都市ぐるみの因果 モノに発展。存在自体がプレス機に同化してしまっているロバート・イングランド扮する工場長、このキャラクターが出てくるだけで完敗だ。ラストの後味も悪すぎる。素晴らしいの一言です。