R.H.の手記

真夜中に、ある古墳の内部を訪ねた。その古墳の名は伏せさせて欲しいのだが、ある高貴な人物が眠っているとされている古墳だ。ここに埋葬されている人物は天皇家の血筋につながるものらしいが、今日彼の名前は歴史書のどのページにも残っていない。時の天皇に対し反乱を起こしたため、歴史から完全にその名を抹消されている。この古墳にも、別の人間として埋葬されているのだ。昼に下見を済ませ、夜まで待機。仕事があがった守衛を家までつけ、寝入ったところをさらにクロロホルムを嗅がせ、容易には目覚めないようにしてから古墳に突入。行きがけの駄賃に、本棚から「こころのこふん」を奪う。守衛は家に帰ったのだから眠らせる必要など全くなかったことに気付くが、もうおそい。賽は投げられた。
 通路が長く続いている。真っ暗だ。心の目で障害物をよけながら、奥へ奥へと進む。何か柔らかいものを何度か踏む。まあ気にしないでおこう。奥へ行けば行くほど、死の臭いがどんどん近づいてくるのが分かる。死の臭いは不思議だ。他の臭いは時間が経てば薄れて行くのに、死の臭いだけは違う。時間が経てば経つほどその勢いを強め、そして鼻の穴からありとあらゆる人の記憶に忍び込むのだ。それにしてもこの古墳に立ちこめる臭気は特別だ。千年以上にわたって蓄積された敗北の恨みが私に重くのしかかる。フラッシュバックフラッシュバック。野原だ。暑い。矛が見える。白衣服をきた男達がぱらぱらと広がり、青銅の矛でつつきあっている。暑いな。一人死んだ。戦争って感じが全然しないな。全部合わせても100人いかないくらい。ときどき掛け声を上げて自分たちを元気づけているが、何だかやる気がなさそうだ。お約束のようにつつきつつかれてる。この草は何ていうんだ?一人だけ冠を被った男がいる。あれがこの古墳の主なのだろう。囲まれた。と言っても10人くらい。つつかれてるつつかれてる。矛を落としたぞ。刺されてる刺されてる。何かわめいているがここからはよく聞こえない。ここ?ここってどこだ?気付くと鼻毛がするする伸びている真っ最中。私を忌まわしい記憶から守ろうとしてる。無駄なことなのに。首に巻いて伸びるがままに任せる。
 壁はほとんど風化して触れるそばから崩れて行く。なんか変だ。地面から草が伸びている。草?まだフラッシュバックが終わっていないのかな。しかし岩壁はそのままだ。触るとぼろぼろ崩れ落ちる。あまり触らないようにしようとしたが、地面が揺れはじめたので、しょうがないから壁を伝って歩かざるをえなくなる。今触っている壁は、さっきフラッシュバックでみた時代に建てられたんだ。てことはあの時のフラッシュバックの映像と地続きだってことだよなあ。そしたらこの草も不思議じゃない訳だ。鼻毛、まだ伸びてるよ。壁もどんどん崩れて行って、このままだと古墳が崩れてしまうんじゃないかと不安になった。ぼろぼろ崩れていって、暗闇の中をバタバタしているような気になってくる。変な気がした本当の訳が分かった。全く音がしてない。岩壁を触っても崩れた壁が地面に落ちても草を踏みつけても何の音もしていない。そのうちに床も石壁もゼリーのように柔らかくなり、手や足は抵抗を感じるまもなくどんどんめり込んで行く。何だかまるで、遊園地にあった、中に入ることのできるランプの精の姿をした大きな風船の中にいるようだ。オレンジ色をした風船の中には知らない子がいっぱいいて、遊園地には遠いところから来ている子もいたから、幼稚園や公園とも全く違ったスリルがあった。もちろん子供のことだから、かわいい女の子に話しかけるとか知りあいが増えるとかそういうことではなくて、個々人の身体能力─足が速いとか、逆上がりができるとか、腕力があるとか─やまれに精神力─泣かないとか知らない人を見ても動じないとか─によって決定されるテリトリーが至るところで重なり合い、一触即発の状況ができ上がることになるのだけど、ところで、彼の血筋は完全に根絶やしになった訳でもないらしい。彼の血族は暗殺部隊として時の政府に奉仕することでかろうじて生き永らえていくことになったそうだ。いつの頃からか彼らは「忍びの者」と呼ばれるようになる。そして伊賀の服部一族こそが彼の末裔だということだ。新聞で読んだ。朝日新聞だ。たぶん。少なくとも讀売新聞ではなかった。夕刊だ。たぶん。
 誤解しないで欲しいが、私は服部半蔵の血を引くものではない。服部違いだ。確かに小さい頃そのことで良く馬鹿にされ、悔しさのあまり手裏剣や撒き菱をあえて練習し、「服部半蔵の血筋の方ですか?」とうっかり聞いて来るような人間にはにっこりほほ笑み「そうです」と答えざまに手裏剣を食らわせてやったものだ。結局誤解を深めることにしかならなかったのだが、このエピソードのポイントは「あえて他人の意図の通りに振るまう」というところにあるのであって、「手裏剣を投げる」というところにある訳ではないという点に注意して欲しい。誰だって他人の無遠慮さに憤ることはあるのだから、私の暴力衝動を糾弾するのはさしあたって止めていただきたい。しかしやはり、その秘められた血縁の可能性をゼロに縮減できないからこそ私は折々に憤ったのだった。もっとも、家には家系図が存在しているから実は確かめればすぐ分かるのだが、怖いので確かめていない。もちろん血筋であることがだ。もしそうなら、私はすべてを手に入れてしまうことになるからだ。私が謙虚な人間であるということも同じように忘れないでいておいて欲しい。謙虚さは高貴な人間の証、とまでは行かないまでにしても、少なくとも高貴な人間は謙虚だ。そして私は高貴な人間でもある。しかし、私の高貴さは別に皇族や忍びの者に連なるという事実によって保証されている訳ではない。私に言わせれば彼らこそ傍流であり、彼らの生まれてきた意義はといえば私の足の爪を歯だけを使って整える以上のものではない。おや、だとするとむしろ私は傲慢なのか。ふふふ。どう思うかね?キャサリン。おいおい、どこを触っているんだ。
 というような嘘八百を外人観光客に売りつける為のテープに吹き込みながら歩いていると、前方から生暖かい風を感じ、程なくして10メートル四方の石室に出た。石室は真っ暗で、真ん中に埴輪に取り囲まれた石の棺が鎮座している。埴輪越しに棺のフタをどける。宝物を抱いた白骨が静かに横たわっている。これが目的だったのだ。表札がわりに門の前においておけば、いい泥棒よけになるだろうと思って。淋しい夜には話し相手にもなってくれるだろう。AIBOがライバルか。それにしてもAIBOを持っているのは一体何人くらいなんだろう。こんど奴隷達に聞いてみよう。それより、この骨を四つ足にして・・・・。それにしてもこの人は、敗北の瞬間を幾億回と夢の中で繰り返しながら、千年以上もここでこうして歴史の忘却に甘んじてきたのだ。恨みのあまり骨は真っ黒に染まっていたから正確には白骨ではない。宝物をどけ、エナメル状に光る黒骨をかかえあげる。乾いた怨念が鼻の穴から入って来ようとするが鼻息で蹴散らし、黒骨を背負う。重い。なんでこんなに重いんだ。思いからか。おお。いい感じだ。こういう時には何らかのトラップが発動するものだがまあいい。埴輪を飛び越えようとすると、やつらがくるりと一回転してこちらに向きなおるではないか。こちらをじっと見られている。やはり、禁忌に触れてしまったようだ。しかし彼らは動こうとしない。どうも死体を守ろうとしているのではないようだ。心なしか喜悦にゆがんでいるように見える。しょせん埴輪だが。埴輪であるにもかかわらず。表情だと?埴輪のくせに。いや、埴輪に憤っている場合ではない。彼らは確かに喜んでいる。からだを小刻みに震わせ、ことこと回っているではないか。いや、回ると嬉しいのか?嬉しいと俺は回るのか?しかしやつらは俺じゃない。嬉しくてまわっているかもしれないじゃないか。他者に対する畏敬の念を忘れるな。やつらはいつだってこちらの思惑を裏切る。ちくしょう、他者のくせに。でも埴輪なんて他者過ぎるよ。頭がショートする前にやつらのうちの一体が小さな女の子のような声で「うれしいよ」と言ってくれたのではからずも我々の仮説は証明された。でもなんで嬉しいんだ?そうか!!埴輪は死体を守っているのではない。死体が埴輪から私たちを守ってくれていたのだ!!今まで誰も知ることのなかった古墳の秘密を知ってしまった。あわてて「こころのこふん」を開き、まがまがしい数字のページを追う。確かに49ページ目に書いてある。「こふんのひみつ:こふんははにわからわたしたちをまもってくれています」。なんということだ。死体を戻そうか。しかし埴輪は縦に重なり棺に戻れないよう私を妨害している。そのままこちらににじり寄ってくる。私は黒骨を背負ったまま通路に駆け出した。
 埴輪たちが追ってくる。どうやってか分からないが、地面を滑るように動いている。くちぐちに「うれしいよ」と言いながら、ゆっくりゆっくり迫ってくる。埴輪は目から黒い液体を流している。黒曜石のようにてかてか光って奇麗だ。あれは彼らが溜めて来た死の臭いに違いない。濃縮されすぎて液化しているんだ。何だかあの液体をからだいっぱい浴びたいような衝動をかすかに感じる。しかし今はそんな場合ではないので逃げ出す。埴輪は通路を埋め尽くしている。高い声や小さい声、聞こえない位のささやきで「うれしいよ」を繰り返している。口から液があふれているのでごぼごぼいっている。いつの間にあんなに増えたんだろう。転がっている埴輪もいる。他の埴輪にめきめきつぶされているのまでいる。ごぼごぼごぼ。めきめきめき。走りながら「こころのこふん」を開き、対処法を探す。あった「はにわにおそわれたとき」どれどれ。「めをとじて」。仕方がない、心眼があるから大丈夫だろう。ごぼごぼごぼめきめきめき。「せいざしてください」。正座?仕方ない。ひざで走るか。うう。走りづらい。ごぼごぼごぼめきめきめき。で?「はにわのきもちがわかるようなきがしませんか?」。ちくしょう!!「こころのこふん」を投げ捨てて再び走りだす。埴輪はすぐ後ろに迫っている。壁をすり抜けてつぎつぎと新たな埴輪が現れる。埴輪は人間が作ったんじゃなかったのか?そうじゃないとしたら人間が埴輪に作られたのか?あんな土人形に?でもそれを言ったら人間だって肉人形に過ぎない。しょうこりもなく投げ捨てたはずの「こころのこふん」を開く。「はにわはにげんろんをこえています。はにわはたましいそのものです。そしてこふんはこころなのです。わたしたちのこころなのです。なんだかなつかしいようなきがしませんか?」。そうか、私はこころの中にいるのか。誰のだ?もちろん私のだ。古代人は自分たちの魂を封印したのか。こころの中に?そして私はその中にいる。こころの中で、魂に追われている。私たちがこころの病を他人にひけらかして楽しい気持ちになれるのも、年寄りが若者の不品行を嘆いていられるのも、永遠の愛が憎しみに変わるのも、他人に比べて自分は何ていいやつなんだろうとか思えるのも、みんな魂であるところの埴輪が封印されていたおかげだったのだ。埴輪があればそんなこと金輪際許されないだろう。埴輪がすべてを見ているからだ。埴輪は私なのか?私は埴輪なのか?じゃあこの骨は誰だ。こいつが、この物語でくその役にも立っていないこの黒い骨が本当の他者だったのだ。私は埴輪だった。そう考えると楽しいじゃないか。私は追われるものではなく追うものなのだから。彼らと一緒になって、彼らと一緒になってうれしい気持ちになろう。何も考えずに黒い涙を流しながら滑るように走ろうじゃないか。何も考えずに何も考えずに何も考えずになにもかんがえずに。めきめき割れる音がする。おれたちが割れている。自分たちの速度に堪えきれずになって割れている。私も割れていく。しかし微塵になるというのに恐怖は微塵もない。恐怖は微塵ではないからではなく、魂は微塵になっても魂のままだからだ。埴輪とはそういうものだ。いやむしろ心地よい。ばらばらになって、微塵になってあたりを永遠に漂おうじゃないか。そして、そして黒い涙に溶け込んで・・・。
 オレンジ色の光が見えてくる。さっき通った巨大風船じゃないか。子供たちがにらみ合っている。駆け込んだ私はどうやらその均衡を壊してしまったようだ。友達のさとる君もいるじゃないか。彼が沈黙を破って呟く。「はっとりくんはにんじゃなの?」私は瞬間的に手裏剣で子供たちを皆殺しにしていた。子供たちの真っ赤な返り血で私は我に帰った。わたしは埴輪ではなくはっとりだった。赤い血はみるみるどす黒く変色し、埴輪の形になって再び私を取り囲もうとした。私は再び追うものから追われるものになって、ひびだらけの体を引きずるように走った。埴輪はもう見えなかった。背後から沢山のささやき声が私を追ってきた。ささやき声が私に追いつくと、私のひび割れは大きくなるのだった。私はささやき声が私に入って来ないように、鼻毛で耳を塞がねばならなかった。何やらわめいていたような気がする。叫んでいないと体がばらばらになってしまうような気がしたからだ。私は走り続けた。
 気がつくと私は満天の星空の下にいた。後ろには何事もなかったかのように入り口がぽっかり口を開けていた。夢を見たのだろうか。そういえば骨も背負ってない。鼻毛も伸びていない。守衛の家に再び忍び込み、「こころのこふん」を彼の本棚に戻して帰宅。事態を哲学的に考察するため、3号のわきの下を2時間ほど舐め回した後書斎にこもる。荷物の整理をしていると、どうやらテープレコーダーを入れっ放しにしていたらしいことがわかった。テープを巻き戻し、聞いてみる。「・・・・おいおい、どこをさわっているんだ・・・・・・・・・・」がたごという音。重いものを引きずる音。棺を開けているんだ。突然走りだす。しかし、埴輪たちがたてていた音は何一つ入っていない。ひたすら走る私。だいぶ息が上がってきたところで私は叫び出した。私は叫びながら走っている。テープはそこで切れていた。テープが切れる寸前、私の声にかぶさるように、小さな女の子の声が入っていた。「はにわはたましいそのものです。そしてこふんはこころなのです。わたしたちのこころなのです。なんだかなつかしいようなきがしませんか?」