大蔵さんも僕もてっきり今日がライブだとばっかり思っていたのだが、フェスティバルは明日からであった。われながらウッカリものだ。そんなわけで今日はベイルート散策。近くの建設中のビル、工事してる人が三人しかいないうえ、しばらくみてたらものをあっちこっちに移動させているだけだった。これは、仕事してるフリだね。この街で一番狂っているのは交通事情である。全ての車がものすごいスピードで走っている上、信号がない。交差点とかは、気合いで乗り切るのがルールとのこと。ベイルート内に、ほんのちょっと信号がないわけではないのだが、ちょっと観察してたら全員無視してた。加えて、ここにはなぜかカーブでアクセルを踏むという奇妙な風習があり、危険なことこのうえなし。しかも追い越しとはカーブでするものとみんな思ってるみたい。さらにすごいのは、ジャッセム曰く、交通事故はそんなに多くないという。近代社会に対する挑戦だ。廃墟と銃弾の跡を横目でみつつぶらぶらする。アメリカ大学というスゴい名前の大学の近くでインターネットカフェに入ってみると、わんぱくなお子さまどもが3Dの銃撃戦ゲームで大騒ぎ。ジャッセムに聞くと、ベイルートの街をそのままマップにしていて子供達に大人気とのこと。十数年前はこれが現実だったのにナァ。まさしく戦争を知らないこどもたちだ。で、この恐るべき光景を写真にとろうとデジカメをとりだしたら落としちゃって、調べてみたら見事にお陀仏になっていた。軍神マルスの呪いか。写真アップロード不可能となる。おされなレストランでなんとなく名前を覚えはじめた方々とランチ。8mmでコップが回転する怪現象などを撮影する。でかい岩と崖を観光したあと、ムスリム居住区スラムのようなとこを通りかかる。ここは中心部とちがって復興なんてぜんぜんで、廃墟にそのまま人が住んでいる。サラ曰く、キリスト教徒がここを歩くのはたいへん危険なのだそうだ。そんで、ものすごいマズいアイスを食べてからシャリフの家へ。繰り返すが、ここはほんとに宮殿。植民地時代のやんごとない方のまごうことないご子孫のようで、前の通りにはお祖母さんの名前がついているという芸の細かさだ。熱帯植物を植えた裏庭までありやがる。ポスト・コロニアリズムっていうか、全然残ってるじゃないか・・・。で、名前の覚えられない人の出演するライブが山の方であるという。この時点で疲労は限界に達していたが、行かないのも失礼だろうということでゴーサインを出したのが甘かった。山っていうか、ほんとに山奥まで車で1時間半くらいかけて連れていかれた。無論道は悪いし、曲がりくねっておる。丘の上の方はどうやら植民者の別荘かなんかがある地域みたいで、宮殿がズラリとならんでいて、かなりイヤーなかんじを醸し出していた。貧富の差ありすぎー。ここ、といっておろされたのはほんとに山のなか。そしたら、夜中にもかかわらず子供がうじゃうじゃいて、奇声を発している。カルト教団か? と一瞬ひるんだが、なんか、即興演奏ワークショップという名のオルグが行われていたとのこと。たき火を囲んでどうでもいい演奏が行われたりもしていたが、子供たちは無視して適当に遊んで目をキラキラさせててかわいかった。と思っていたら、ガキのひとりに、お前は日本人か、それならば空手ができるだろうと問われる。軽くあしらうつもりで、まぁね、とかいったのが大失敗。キアロスタミの映画に出てきそうなピュアな子供たちが残忍な表情をむき出しにして次々と襲いかかってきた。羽交い締めにされて殴られたり、三匹上に乗ってきたりとひどい目にあった。これ、空手っていうかリンチだよネ。とはいえ、ひとしきり暴行を加えられた後、なんとなく友情が芽生え、名を名乗り合って握手をかわした。アレムちゃん推定10才と話して微妙になごむ。このあたりのお子さまは、アラビア語のほかにフランス語もちゃんとできて、場合によっては英語もしゃべれる。で、企画は終わったみたいなんだが、そんなに車があるわけじゃなく、なんとなく山の中に放り出されたかたちとなった。サックスのベルトラン・デンツラー氏とレバノンにおける時間感覚についてはなす。スペインでもヒドいとおもったが、ここはさらに上をいっていて、5分といわれたらだいたい1時間だと思った方がよい。レバノン滞在とは待つことのディシプリンと見つけたり、とデンツラー氏。で、しばらくしたらだれのだかわからない車がきて、帰れることになった。帰り道は爆睡して体感時間10分くらい。で、シャリフの家についたらなんかさらに宴が催されていた。なんか怪しげなおっさんがいるなぁ、と思って避けていたら、マザンに紹介される。ほかならぬフランツ・ハウズィンガー氏であった。ソロCD、お金に困ってユニオンに売っちゃったけど、あれはすごいよかった。まじめな人を想像してんだのだが大はずれ。怪人度かなり高得点。名前ど忘れしちゃったけど、猪木とアリの試合を仕掛けたプロデューサー、あの人と、古畑任三郎を足して、割らなかったかんじ。いろいろあって相当しんどかったので早々に退散し、すぐ撃沈。