サン・セバスチャン

カトリックへの勧誘をうけつつサン・セバスチャンに到着する。早朝6時半。無論喫茶店などもあいていないので駅のベンチでうとうと。迎えに着てくれたマッティンとコーヒーを飲んで、お昼前に会場入り。文化センターのようなものか。見たところ、音響機材やビデオの編集機などが充実していて、地元のアーティストが使用できるようになっているようだ。http://www.arteleku.net/ ちょうどTV POWのふたりが即興演奏ワークショップをやっていた。マッティンと共に少し参加。近くの郷土料理屋でお昼。無骨だが格別。夕方、残響の多い広いスペースにてデュオ。このライブのことを私は決して忘れないだろう。信じられない出来事に立ち会った。最初は笑いをこらえるのに必死だったがやがて泣きそうになった。これ以降いったいなにができるのか。考えるのには長い時間を要するとおもう。Xabier Erkiziaの住む山間の町、ベラへ。またしても郷土料理屋にて深夜の食事。美味しいので抵抗はしないが、どれも重いバスク料理を毎日食べていたら確実に早死にするだろう。フランコ政権がバスクを弾圧していたのはよく知られた話だが、この町のもうすこし奥まったところにレジスタンスが隠れていて、警官隊による山狩りが決行され多数の犠牲者をだしたことがあったそうだ。Xabierのおじいさんは当時パブで働いていて、酔った警官同士が武勇伝を語り合っているうち、ひとりが同僚の頭に銃を突きつけ、おれはこんな風に撃ってやったんだと自慢するつもりが誤って発砲、射殺する現場に居合わせてしまったことがあったそうだ。その銃口はそのままおじいさんの頭へと向けられ、このことしゃべったら殺すと脅迫されたという。そんな逸話は枚挙にいとまがないらしい。そういえば私がバスクに着いたその日、フランスでETAの主要人物が拘束されていた。マッティンはあらゆる新聞を買い込んでいた。