人道

高橋/小中対談について思い返す。心底惹きつけられてしまう映像は、戦争にせよ殺人にせよ自分の人生においてなんらかの決定的な出来事を経験している人のものであるという(やっぱりポランスキーがスキ、フリッツ・ラングは最初の奥さんを殺しているらしい等)高橋さんに対し、小中さんはそれはとんでもない作品をつくるにはとんでもない現実の体験が必要という体験主義ではないか、そのような経験を持たない自分たちに為す術はないのかと疑問を投げかける。対する高橋さんの答えは、自分たちにあるのは映像体験である、というもので、確かに高橋さんの作品は、日曜洋画劇場サイボーグ009など自分の人生に楔を打ち込んできた映像のトラウマとトコトン向き合うことで練り上げられており、それは私自身の音楽体験と重ね合わせてみても非常に勇気づけられる意見であった。


11/20 マージナル・コンソートを見に森下へ。「のらくろード」なる商店街を通る。田河水泡ゆかりの地らしい。そこかしこにのらくろの姿がありなかなか和む。会場である江東区森下文化センターもかなり気合いがはいっていて「田河水泡のらくろ館」なる常設展示があり、弟子である山根あおおにによる「名たんていカゲマン」原画展もやっていた。のらくろスタンプを押し、のらくろピンバッヂとのらくろシールを購入。マージナルは時間と持続とも言うべきか。どれがだれの音ということではなく全体が一つの質であるような状態。ただ、特定の音が全体を支配してしまっている瞬間も多々あったように感じた。高田馬場で泉君と落ち合い、ジャケット打合せと称して軽く飲む。世間を賑わす猟奇的な事件について人道的見地に立って議論。


11/21 ラディアンとフェネスのライブ観に久々に渋谷クアトロへ。ラディアンはドラムはかなり繊細なことを淀みなくやっていてスゴそうだったが、いかんせんエレクトロニクスがのぺーっとしていて、かつてCDで聞いてすげえなぁとおもっていた構成のおもしろさもそれほど生きてこず全体的にはフツーという印象にとどまる。生ドラムがちゃんと聞こえないとバンドの良さが完全に失われるとおもうんだけどなぁ。去勢されたTHIS HEATという印象かな。フェネスは前回スイスで観たときよりも増して空間を己の存在で埋め尽くす系。最初の数秒でお腹いっぱいになりドアの外で大谷君や久しぶりにあった大島君たちと歓談。終演後、泉君から電話がありドラえもんの声優総入れ替えの情報を入手。私はアンチ大山のぶ代だがそれはそれでなんとなく寂しい気もしてきた。天狗で飲む。


11/22 新譜ジャケット入稿。ツアー出発に間に合わないことが発覚したのでまた送ってもらうしかないなぁ。メタカンパニーで納品などをして歯医者。夜は服部君、泉君、木下君と飲む。自家中毒コメディアン集団のようだ。