アテネの日々

12/7
ロードリのお宅でライブ。アネッタ・クレプスのおうちコンサートが元になっているそうでドイツ語でhauze konzertと題されている。第一回はショーン・ミーハンだったそうだ。323周辺の愉快な面々に加え、フィル・ミントン、ジョン・ブッチャー、スティーブ・ベレスフォードといった年上ミュージシャンたちが集う。アットホームな雰囲気のなか、綿密なプランに基づく緊張感に満ちたソロを試みたものの、途中でロードリが参入してきて計画は頓挫。ソロのあと休憩なしでとお願いしたつもりが、そのまま続けてと受け取られてしまっていて、私の説明ミスだけど結果オーライということにした。終演後、モモさんがみそ汁と炊き込みご飯を振る舞ってくれて、これがたいへんおいしく、会場はわきかえる。来日時からダシの基本を知りたがっていたロードリもご満悦だ。ウェールズ伝統ということで、くじびきによるプレゼント大会のようなものがあった。商品は私のCDだったが、当選者はライブが終わってから来ただれかの友達で、露骨にいらなそうな顔をしていたのが印象的だった。


12/8
ダニエルの会社がルートンなので、車で空港まで送ってもらうことができた。楽器をもって地下鉄を乗り継ぐのがなにより疲れるのでとても助かった。加えて、一緒に出社している同僚のお二人と愉快なひとときを過ごすことができた。ぜひまた便乗させていただきたい。ありがとう。空港についたのが9時過ぎでフライトは14時半。レクチャーの準備をして、それから鎌田慧『大杉榮 自由への疾走』を読む。意外とあっという間に時間はたった。ギリシャまで4時間弱。機内ではクイズに答えているであろうシルヴィアへ念を送りつつ、ほぶらきんを聞いていた。アテネ空港でニコス・ヴェリオティスが出迎えてくれる。ベルトラン・デンツラーが二時間後に到着するということでそれまでカフェで待機。できたばかりのニコス/杉本/木下/宇波カルテットのCDに非常によろこんでくれていた。はやく服部君に進呈したいなぁ。アテネ空港はきれいで静かでなかなか過ごしやすく、無料インターネットサービスもあるのだが、トラックボールの操作性が異様にわるく、ほとんど動かないのが難点だった。飲んだり食べたりしているうちほどなくしてベルトラン到着。肝臓の調子はわりとよくなって、最近すこしお酒も飲めるようになってきたとのこと。ニコスの車で街へ。通りはクリスマスのイルミネーションで華やいでいたが人気があまりない。ホテルにチェックインしてからベルトランと二人で飲み屋をはしご。


12/9
ブーカードに電話。シルヴィア、最終目的には達しなかったものの、それなりの賞金をゲットしたもよう。でもなぜか3つのライフラインを一度も使わなかったそうだ。再来週ウィーンでくわしくきいてきます。ベルトランと二人で散歩したりコーヒーを飲んだりしてぶらぶら過ごし、昼下がりに会場となるスモールミュージックシアターへ。オーナーであり、ミュージシャンでもある通称プレジデント(みんなそうよんでるので最後まで本名は把握できず)とあう。知的な熱血漢という印象。今日から三日間、ニコス主催の2:13フェスティバルである。アテネでニコスが演奏すると客が激減するという通称ニコス・シンドロームとよばれる現象のため、残念ながら本人の演奏はナシだ。その甲斐あってか会場は満員。世界各国のビデオ・アーティストによる2分13秒の作品をいくつか流したのち、私のレクチャー。開演前は緊張しすぎてなんだか気分が悪くなってしまっていたが、通訳権聞き手としてニコスも壇上にあがってくれたのではじまってみたら結構たのしくベラベラしゃべっていた。非常階段やスーパーボールのビデオを上映しつつ、少なくとも私の個人史において、彼らがいかに音楽の枠組み自体を揺るがす出来事であったか、ということについての私見を述べる。デヴィッド・トゥープ氏はスーパーボールにかなり感銘をうけておられたようだ。去年、リバプールで会ったサウンド・アーティストのリー・パターソンがかなり面白かった。コンタクトマイクをつけた鉄板のうえにお湯であたためたいろんなボトルをひっくり返して置いていくのだが、空気の圧力の変化によりドアが軋んだようなへんな音がなる。パルスになったり高周波がなったりとバラエティに富んでいて、一時間くらいの演奏まったく飽きず。ウィスキーでもウォッカでもフリーなためこれから数日毎晩ひどい状態まで飲み続けることになった。


12/10
ベルトランも私も今日は演奏ないので夜まで観光に徹する。古そうなお寺の残骸がある丘にのぼったらとても景色がよかった。アクロポリスにも行ったが入場料12ユーロに対して、二人とも20ユーロくらいしか手持ちがなかったので断念。「ソクラテスの牢屋」という遺跡があったのでわくわくしてみにいったら、ただ洞窟状の遺跡なだけでソクラテスがとらえられていたわけではまったくないらしく、憤慨する。まぁ街をぶらぶらしてるだけでもかなり面白かった。フリーマーケットには結構楽器がおおく、ベルトランはアルトとソプラノの中間くらいの大きさの見たことのないサックスに興味津々だったがキーまわりのからくりがかなりヒドい状態のようなので購入にはいたらず。なんかジャンクフードが食べたくなって「八八」という名前のファーストフード風中華料理屋に入ってみたら、意外にもちゃんとした料理がでてきてしまってまったく期待はずれ。フィードバック・サックスのグラハム・ハリウェル、けっこう楽しみにしてたのだがなぜだかしらないけどキャンセルになって、かわりにまたリーが演奏。あと何者だかよくわからないまま仲良くなったジャン・パランドルがかなりよかった。自分のフィールド録音を流しているだけだが、ミックスの仕方にかなり鬼気迫るものがある。とりあえず録音クオリティがハイレベルで、最後になぜか生声でスペイン語による語りがあったのだが、それまでPAで流していた音とぜんぜん区別がつかなかった。世の中にはまだまだ知らない偉人がいるなぁとツアーのたびに思う。


12/11
フェスティバル3日目。オーディエンスが会場のキャパシティを越えていて、何人か追い返すことになってしまったそうだ。サウンドチェック後、ほかに選択肢がないとのことで三日連続通うことになったレストランへ。フランスのクラリネット奏者グザヴィエ・シャルルもきた。残念ながらフェスでの演奏はないのだが、ジャンとの野外レコーディングプロジェクトのため来アテネ。a buruit secretからでているminiCDがかなりいい。スピーカーの振動による演奏で、私とやっていることがわりかし似ているので聞いたときはショックを受けたものだ。技術的なこともそうだが、ニコスのソロ"radial"にも通じる極端な構成がいいです。話をきいたら、あれ、沈黙だと思っていたパートにも実は低周波がはいっていて、スピーカーがゆっくり動くのが見えるはずとのこと。ぜんぜん気づかなかった、不覚。ソロは自分としても満足のいくものだったが、なによりグザビエがスピーカーデュオをやりたいといってくれたのがうれしい。梅田君とトリオというのもいいですな。デヴィッド・トゥープのソロは正論を聞かされてるかんじでさして楽しめず。地球の声に耳を傾けようみたいな。フェス終了後はそのまま打ち上げに流れ込んだがかなり異様な盛り上がりをみせた。ニコスが松田聖子をかけ、ジャンとベルトランがエレガントかつ奇っ怪な踊りを踊り、これをやらないとパーティーは終われないと思ったのだろうか、私はグザヴィエとデュオでインターナショナルを演奏していた記憶がかすかにある。


12/12
朝、先に帰国するベルトランを見送る。次はシリアあたりで会うのだろうか。リー・パターソンと観光。日曜はタダだということで再度アクロポリスへ。パルテノン神殿は改装してあってなんだかありがたみがなし。まぁながめはよかった。夜はまたスモールミュージックシアターにみんなわらわらとあつまってきて飲み会。


12/13
市内をブラブラしていたらボロボロの人形を積み上げたゴミの家があって「アイルランド独立!」「タリバン万歳!」「打倒ブッシュ!」といった類の看板がいろいろ掲げられていた。あたりに人の気配はなく妙な雰囲気。それから完全に方角を見失って迷い込んだ肉の市場が生皮をはがれたウサギやら豚の頭やらがたくさんぶらさがっていてかなりインパクト大。夜はスタジオでプレジデント、ニコス、ジャン、グザビエとレコーディング。そのあとはまた飲み会。


12/14
ジャンとグザヴィエの野外レコーディングプロジェクトに参加。グザヴィエと私は人目を顧みず市内で適当に演奏し、ジャンはマイクをもってうろうろする。マイクを持った人と一緒に歩いているだけでも喧噪の聞こえ方がまるっきりかわる。喫茶店でもこっそり録音。グザヴィエは別の用事があって途中で離脱し、ジャンと私はとりあえず夕飯でもとシアター目の前のはレストランにはいる。ここがアテネ随一というくらいむちゃくちゃ美味しかった。灯台もと暗しである。ひとりで切り盛りしているおじさんと仲良くなって、料理風景を録音させてもらう。本人に聞かせたらやたらよろこんでコーヒーをおごってくれた。ついでにその場でギターソロもとる。それから二人で地下鉄へ。車内でギターを弾く。連結部からたまに怪音がなる。終点までいったら港だった。停泊している船の乗車口がギシギシいっていたので、真っ暗闇のなかそれと一緒に録音。これはかなり感動的な名演になったかもしれない。街に戻って祝杯をあげる。