邦画三題

日曜と月曜で映画を三本みました。


『タッチ』長澤まさみがいい!。朝倉南本人だ。クライマックスの野球が非常にいい試合で、そこにいろんな思いが交錯していくのがすばらしい。


塩田監督の新作『この胸いっぱいの愛を』。黄泉がえり路線、というか焼き直しとしてつくられた感がないではないが、けっこうよかった。タイムスリップものだが、安易に人生やりなおしということではなく、命をかけて人生を肯定しようとする気概があり、感動する。今まで気にしたことなかったけど、ミムラというひとは気品があるなぁ。


で、メジャーな邦画に追い風が吹いている、と勇んで『NANA』を観にいった。実のところ途中まで、これはひょっとして言われてるほど悪いものではないのじゃないかと思ったのだ。だが観終わった後、この映画は絶対に許せん、という気持ちになってしまった。読み取れるメッセージがあまりにも解せない。思うところはいろいろあるが・・とにかくオチだ。マンガの展開をご存知の方から続編につながるように作られているのでは、という意見もいただいたものの、一本の映画として作られた以上ここで判断するしかないので判断するが、こりゃおかしいだろう。
中島美嘉は「恋よりもプライドを選ぶ」崇高な精神の持ち主ということになっていて、事実、自分を捨てて東京でビッグなミュージシャンになった松田龍平への想いを抱えつつも、シンガーとしての夢を追うことで過去を乗り越えていく決意をしていたはずなのだが、未練をたちきるつもりで再会してみたら勢いで抱かれて、なんとなく関係が復活することになり「ケリをつけるつもりだったのに、あたし流されちゃってるな」といったことをボヤく。当然このあと自分のバンドで歌うところとかがあって、その誇りを取り戻すのだと信じたかったが、驚いたことに映画はそのまま終わってしまうのだ。これじゃぁ中島美嘉松田龍平に対しても、音楽に対してもそんなにまじめじゃなかったということにしかならない。挫折ですらないよ。
宮崎あおいもあんまりだ。不器用に生きつつも、中島美嘉と過ごす日々のなかで、自分の生き方を見つける決意をしたのではなかったのか。友達経由で憧れのミュージシャンに会わせてもらったくらいで魂を救済されないでほしいよ。『害虫』のラストはなんだったんですか。あのベーシストはほんとにやだったなぁ。なにが泣かしちゃったよだよ。あれ、やられちゃうシチュエーションがお膳立てされただけのような気がするんだけど・・・。
これだとこの映画が二時間近くもかけて言いたかったことは、「ビッグなミュージシャンに抱かれれば女の子は満足」ということになってしまうのではないだろうか。そんなことでいいのか。こんなものがみたくて人は映画を観にいくのだろうか。いや・・もちろんどんな映画があったっていいわけだけど、でもちょっと適当すぎるし、この世界観が若人に絶大な支持を得ているということが理解できないなぁ。私が観た回は客席から拍手までおこっていたよ。若干考えすぎてみると、マジョリティーとはなんなのか、という疑問にあたってしまう。まわりで小泉政権を支持しているひとは誰もいない、でも自民党が圧勝するという現実。
あと、中島美嘉が歌ってる地元時代のバンドはけっこうかっこいいんだけど、松田龍平のバンド、トラネスのライブがあまりにもショボすぎる。てっきり中島美嘉が、「あんたのやりたかったのはこんなことだったの?」ってキレるのかとおもったら、乗り越えたい対象にしている。彼らが判断基準にしているのはただステージの大きさだけなのだろうか。せっかくバンドを題材にした映画なんだから、もっと音楽上の葛藤とかが描かれていてもいいんじゃないだろうか。
作り方が適当な映画では決してないとおもう。二人のナナは、こういう人が生きているんだ、というふうに見えるし、魅力もある。だからこそ、あなたのいうプライドってそんな程度のものだったんですか・・・とげんなりする。あと、男性の登場人物は全員ほんとに腹立たしい。世の中ではこういうのがかっこいいということにされているの? まとめて地獄に堕ちればいいのだ。ま、堕ちる地獄があればね。
ほかにもいろいろ言いたいことがあったけどうまくまとまりません。まぁ、宮崎あおいはかわいかったです。


まったく関係ないけどショーン・ミーハンの新しいソロ二枚組がすばらしいです。心が洗われました。
http://www.japanimprov.com/cdshop/goods/soseditions/sosed-802.html