ヒミコ

先日、友人と話していて『タッチ』の話題になった。映画版はよかったが、やはりあの展開のはやさだとカッチャンの死の重みを描ききるのはむずかしかったかなぁ、というようなことを言ったら、彼はそもそもアニメでみていたころ、ずっとカッチャンが死ねばいいと思っていたし、その死後は、カッチャンが死んでよかったなぁ、としか思わなかったそうだ。自分も野球で努力するよりはうちでゴロゴロマンガを読んでいるほうが好きなのでタッチャンにシンパシーをかんじていたし、そういうやつがライバルの死によって都合よく南と結ばれたらいうことないじゃないか、というのが彼の言い分だ。たとえマンガだとはいえ、軽々しく誰かの死を望んだりするのはいけないんだぞとその場はたしなめたものの、よく考えるとそれはタッチのやりきれなさの本質だよなぁとおもう。南とタッチャンは元々相思相愛だったのに、今後幸福を育んでいくうえでどうしてもカッチャンが死んでくれたからという要素は否定できず、それを背負っていくのは辛いし見てみないふりをするのはさらに地獄だ。ましてやタッチャンとカッチャンはうり二つなわけだから、南はつらいですよ。だからこそタッチャンは甲子園に行かなければならなかったのだ。なんだか普通のことを言っているが、いや、でもやっぱり「カッチャンが死んでよかったなぁ」とか言っちゃいけないはずだ。


で、『タッチ』と同じ犬童一心監督による『メゾン・ド・ヒミコ』を新宿武蔵野館で。ゲイ向け老人ホームのはなし。なによりキャスティングがよくて、人のたたずまいだけで十分説得力がある。過度にドラマチックにはならないんだけど、印象的なシーンばかりだった。音楽は細野晴臣で、その作り物の桃源郷感が映画にすごくあっていたとおもう。