ベルリン、パリ、またウィーン

ベルリンからパリを経て再びウィーンにきました。

ベルリン最後の日はいろいろ人に会えた。なぜか朝9時にクリストフと待ち合わせて、それからアネッタをたずね、ロビンとコーヒーをのみ、それからダッフェルデッカー氏をたずねるというスケジュールだったが、あとで考えたら全部まとめることも可能だったようにおもう。夜、KULEでマッティンとの訊問即興「ATTENTION」。東京でのライブよりもさらにキツいもので、終わりが永遠につづくような異様な展開に。友人もたくさん来てくれたのに、終わった時はみな帰ってしまっていたが、またマッティンと生涯忘れがたいライブをやったという手応えがあった。演奏時間は2時間をこえていたらしく、急いでかえって荷造り。飛行機が朝はやかったので2時間くらい仮眠をとって、電車で空港へ。
午前中にパリについて、すぐジャン=リュック・ギオネのところへ。さすがに眠くはあったが、おもしろ話は尽きず。夜はジャン=リュックとエリック・ラ・カーサの作品鑑賞会へ。インタビューとテキスト朗読で構成された実験ラジオドラマのようなもの。彼らはたまにラジオ局のためにこういうのを作っているらしい。言葉の意味はわからなかったが、さすがにこの二人なので、部屋の音が絶妙に配置されており、80分程度まったく飽きずに聞けた。こういうレコードコンサートみたいのも面白いですね。夜中にバーみたいなところにいって、ソーセージをたべた。
翌日はベルトラン、村山さん、ジャン=リュックとライブ。会場は家具(?)職人さんでワイントレーダーという方が自宅の地下室でやっているところ。ワインの善し悪しなまったくわからない私にでさえ、これはありえないクオリティなのでは…とおもわせる名作を次から次へと振る舞われ、死ぬかとおもった。
次の日の昼、マイクをつくっていただいたマレットさんにはじめてお会いした。70代半ばくらいだろうか、静かなる賢人というかんじの方で、短い時間だったが感じ入るものがあった。今回のヨーロッパ滞在はジャン=リュック曲の準備にあけくれ、観光はほとんどせず屋内でコンピューターに向かっている時間が大半をしめており、不憫におもってくれたのか、チーズを買いに連れて行ってくれた。で、夜、スタジオでジャン=リュックの「signature of the room」の録音。何百ものオシレーターグリッサンドしながら部屋を振動させる狂気の作品だが、やはり実際にやってみてはじめてわかる問題もいろいろあり、この録音が決定版というわけにはいかなそう。ここ数日は鳴り響くオシレーターの悪夢で目が覚めていたが、まだ解放されなそうである。終わったのは夜中の2時頃。二人でかるくビールを飲んで帰宅。荷造りをしていたらジャン=リュックが夜食をつくってくれたのだが、これがタマネギとニンニクとエシャロットを切っただけのものに強力なヤギのチーズを添えたブルータルなもので、全身に麻痺をおぼえた。で、また1時間くらいの睡眠でシャルル・ド・ゴール空港へ。
ウィーンでまたビリー/ディータ邸にご厄介になり、仮眠をとってからラドゥさんのお宅をたずねる。オーストリア料理フルコースを振る舞っていただいて、いやー楽しかった。
そんなラドゥさんですが、10日後くらいには日本にこられるのです!
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