MY WORK IS NOT YET DONE

トーマス・リゴッティ ”MY WORK IS NOT YET DONE” 読了。打ちのめされたようになりました。会社で追いつめられた男が怪物となって復讐を果たす、というとまぁありがちに聞こえてしまうけれど…、この「怪物化」がすさまじくて、ホラーとはすなわち存在論にほかならないとあらためて思い知りました。単にモンスターになるのならば、存在の質は変化するけれども、その存在の仕方自体は変わっていないとたぶん言える。でもこの主人公の変容はその在り方に関わるもので、言うなれば存在ならざるものとして在ってしまう…わけですがどう考えていいものやら。でまぁおぞましい惨劇がおこるわけですが、これが全編ビジネス文書のような冷静さをもってその「怪物」自身の一人称で語られる。つまりは名状しがたいなにかに襲われるという受け身の怖さではなくて、非-存在を生きてしまうことによる恐怖、ということかな。かつ、「会社」なるものの、力をもった顔のない穴のような不気味さが終始横たわっていて、つまりは空洞と空洞の対決のようななんともひどいはなしでした。全会社員必読の書でないことだけは明らかである。

今日は故あって新潟は長岡に日帰りで行ってきました。玄米味噌を買って帰った。あと、車麩も名物らしい。

ピカデリーで『ロビンフッド』。景色がよかったのと、神父が密造する蜂蜜酒が飲んでみたかった。あと、ロビンフッドが終始暗い目をしていたのが気になった。リドリー・スコット、エイリアン5撮るんですね。石原的にはエイリアンの幼虫も非実在青少年なのだろうか?ギーガーの造形からしてあれは性的感情を刺激するし、残虐だ。また、上記作品のように存在することをやめた人間は?宇宙の謎を前にして、法案のほうこそ実在してないに等しい。

もう今週土曜日になってしましたが、HOSE/popoぜひ観に来てください!
一緒にやる曲を吟味せねば。
http://hose.hibarimusic.com/?p=316